春日の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

福岡県春日市歴史探訪
春日市の概要
春日市は、福岡県の中央部に位置し、北に福岡市、南に大野城市と隣接しています。福岡市中心部まで10キロメートル圏内という地理条件に恵まれ、ベッドタウンとしての色が強くなっています。面積は14.15平方キロメートルで、福岡県内では最も面積の小さな市です。

春日のあゆみ
古代の市域一帯は湧水が豊富で、弥生時代の頃から居住人口が拡大していきました。『魏志倭人伝』でいう「倭奴国王(わのなのこくおう)」の墓が所在する春日丘陵一帯は、無数の遺跡が高密度に分布しています。後にここが弥生銀座と呼ばれることになりました。奈良時代には、大宰府政庁が置かれており、九州の政治・経済・文化の中心地となっていました。そして768年に藤原氏の氏神である春日大明神を大和国から迎え入れ、春日神社が創建し、「春日」という地名が誕生しました。

戦国末期、九州では豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏が互いに覇権を争っていました。その争いのなか、島津勢が大友勢の高橋氏が守る岩屋城を攻めた際、原村と春日神社が焼失する結果となりました。しかしその後、関ヶ原の戦いで手柄を立てた黒田長政の家老、黒田美作一成の手によって、長い間荒廃していた春日神社が蘇りました。また、藩の増産政策としてかんがい用の溜め池や用水路が盛んに造営され、須玖の武末新兵衛による1664年の白水池の築造や、小倉の大庄屋格、白水喜四郎による小倉用水はその代表的なもので、市城には約60の溜め池がつくられました。
江戸時代の市域は、何度も凶作に見舞われていますが、なかでも享保の大飢饉は3年間で餓死者約10万人を出しました。

1924年、九州鉄道(西日本鉄道)の福岡〜久留米間が開通し、春日原駅が開設されてから、春日は発展していきます。駅の西側の広大な土地に完成した総合運動公園は野球場をはじめラグビー場やテニスコートも備えるなど、さまざまな競技大会が行われていました。福岡市に平和台球場ができるまではプロ野球も行われ、スポーツの中心地として賑わいを見せていました。 太平洋戦争の頃、競馬場には造兵廠(しょう)春日分廠が置かれ、渡辺鉄工所は九州飛行機工場に変わり、東部地区には欽修、筑紫荘、春日荘など数多くの工員団地が生まれました。戦後、これらの工場跡は米軍板付基地(春日原基地)に姿を変え、終戦の27年後の返還まで基地の街として活況を呈することになります。

1953年、町制施行により村から町になり、福岡都心部のベッドタウンとして人口も急激に増加していきます。そして1972年、春日町は3万人特例法により春日市として歩みを始めます。同年、返還された米軍基地跡は、春日公園や春日高校、九州大学筑紫キャンパス、住宅地へと変わり、市全体を見渡しても教育文化施設、福祉施設、都市公園などが次々と整備されました。その後はJR春日駅、JR博多南駅が相次いで誕生し、交通の便がよくなると、1996年には人口が10万人を超え、現在も発展を続けています。


春日の名前の由来
春日という地名は春日神社に由来しています。768年、大宰府の藤原氏が、天児屋根命(アメノコヤネ)を祭る大和国の春日大名神を、このヒモロギの地に迎えたのが、今日の春日神社の創建とされています。春日(ハルヒ)を「カスガ」と読むようになったのは、「ハルヒ(春日)がカスム」「春霞がカスム」という枕詞から、しだいに地名の「カスガ」にもかかるとされ、春日をあてて使うようになったとされています。


春日の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 春日市奴国の丘歴史資料館
住所: 〒816-0861
福岡県春日市岡本3-57 [地図を見る]
電話番号: 092-501-1144
開館時間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日: 第3火曜日(祭日の時はその翌日)、12月28日〜1月4日
入館料: 無料







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